ベイスターズ 1-3 カープ

我らが誇る完投神、黒田博樹投手が157人目のプロ入り通算1500イニングを達成しました。今日は記録達成を記念して黒田投手の完投の歴史を振り返りたいと思います。

  • 1997年(1年目) 完投4試合

専修大学から、ドラフト2位(1位はこの年新人王を獲った澤崎俊和)の逆指名でカープに入団し、初登板となった4月25日のジャイアンツ戦で即完投勝利をあげると、その後はローテーションに加わり6勝(9敗)と大器の片鱗を窺わせる活躍。ちなみにペルドモが投手デビューした年でもある。成績は2勝2敗。

  • 1998年(2年目) 完投0試合

飛躍が期待された2年目のシーズンは所謂、2年目のジンクスに澤崎とともに陥り、チームも序盤こそ小林幹英の活躍もあって首位独走するも徐々に失速し、セリーグ全球団に負け越す快挙達成。黒田自身は0勝に終わる。ペルドモも0勝に終わる。これにより三村敏之監督が勇退し、達川政権が発足する羽目に。

  • 1999年(3年目) 完投2試合

光男と大下剛史軍曹の下、アストロ球団化が加速し、球団タイ記録となる13連敗の金字塔を打ち立てた。黒田もチームの勢いに引きずられるように、2試合完投するなど復活の気配を見せ5勝8敗。なおこの年、達川采配によって投手・吉年滝徳の代走起用、ミンチー・ペルドモ・デハート夢の競演が実現。ペルドモはこれを花道にカープを去る事となり、現在の日記書きに至るのであった。その代わりとしてファンタジスタが入団したのもこの年。

  • 2000年(4年目) 完投7試合

鬼軍曹も去り、ほっとしたらこの年の2試合目に155球を投げさせられ完投勝利するなど、黒田らしさが徐々に芽生え始め、シーズンを通してローテーション投手として活躍し、初めて9勝6敗と勝ち越しに成功。完投数もリーグ1位と初の戴冠。勿論チームは負け越して5位の定位置を守り、達川晃豊がチームを去り、やまもとこうじ(←なぜか変換できない)

  • 2001年(5年目) 完投13試合

2試合に1試合は完投するというある種のプレイによって2年連続完投王。チームもなんと4位でシーズンを終える事に成功。この年の内野陣が東出の27失策を筆頭に、野村・ロペス11失策、ディアス10失策、新井9失策とミラクルだったことからも黒田の凄さがうかがい知れると思う。

  • 2002年(6年目) 完投8試合

腰痛を訴えて勝ち星、完投数ともに減ったものの3年連続の完投王。やっぱり内野も新井17、東出16、ディアス12失策と相も変わらず黒田をアシストし続ける。ここまで来ると涙なしには語れない。

  • 2003年(7年目) 完投8試合

完投数こそリーグ2位に終わったが、初めてシーズン200イニング登板を達成する。シーツ先生率いる内野陣によってチームが6年連続Bクラスに沈む中、まさに孤軍奮闘。

  • 2004年(8年目) 完投7試合

完投王に返り咲いたこの年、黒田の調子も今ひとつで7勝9敗と負け越す。毎試合120〜130球は必ず投げてるんだから誰も責められない。責めるべきはあの人。そうファンタジスタ。まだ未完の大器のまま。

  • 2005年(9年目) 完投11試合

春季キャンプから2500球の投げ込みを投手陣に課すなど、最下位に終わったチーム迷走っぷりを尻目に、黒田は5度目の完投王、初の最多勝を獲得。「やっと終わった。精いっぱい戦った」と苦しい心情も吐露している。なおこの年を持ってチームを支えてきた野村謙二郎内野手が現役を引退。セレモニーが行われた試合で勇退が決まっていた山本浩二監督と抱き合い「これでこの監督とサヨナラだ」と別の感動をカープファンに与えた。ファンタジスタ新井も本塁打王を獲得し、ある意味実りの多い年となった。

  • 2006年(10年目) 完投6試合

ブラウン新体制の下、先発4人制が敷かれ、ここに来てようやく近代化・分業化が進み、序盤こそ完投数が伸びなかったが、本人の意向により完投する試合が多くなり、勝ち星も伸び始める。現在防御率も1.98と好調を維持しているが、この成績で6敗という所が黒田らしい。


と早足で振り返り、改めてその偉大さを思い知らされました。今日の試合も勝ちはしましたが、黒田に勝ち星は付きませんでした。梅津智弘投手、プロ入り初セーブおめでとうございます。